みなさん、こんにちは!
今回の日本三大〇〇は、日本の偉人、賢人シリーズから
「俳人」
をご紹介します。
世界の詩人達の中でも日本の「HAIKU」は、
一目置かれていると言われています。
その俳句の世界に多大な影響を与えた三大俳人は誰なのか?
それでは、さっそくまいりましょう!
日本が生んだ俳人と言えば?
「5・7・5」のリズムに合わせて読む俳句は、
世界で一番短い定型詩です。
俳句を詠む人を俳人と呼びます。
四季の移ろいや風光明媚な日本だからこそ
これまでに多くの俳人が生まれました。
中でも松尾芭蕉・正岡子規は、ズバ抜けた才能があり
後に俳聖として崇められていますので
「日本三大俳人」であることは間違いありません。
残る一枠は、二人の異才を放った俳人がおり
どちらも「江戸三大俳人」なので一人には絞れないのが
正直なところ。
その二人とは、小林一茶と与謝蕪村です。
なので「日本三大俳人」とされていますが、
実際には「松尾芭蕉・正岡子規・小林一茶・与謝蕪村」
の四名とするのが正しいかもしれません。
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松尾芭蕉
まず、松尾芭蕉について見ていきましょう。
松尾芭蕉:1644年〜1694年11月28日
本名:忠右衛門宗房
出身地:三重県伊賀市
芭蕉が活躍したのは、江戸時代前期です。
芭蕉は、俳号となります。いわゆるペンネームのようなもの。
世界的にも俳聖として後世までその才能が認めらています。
蕉風俳諧(しょうふうはいかい)と呼ばれる独自の技法を
使って俳句を詠みました。
今でもその芸術性の高さは、評価されています。
蕉風俳諧とは、自然と人生を巧みに織り交ぜて俳句を詠む技術です。
著書に紀行文「おくの細道」があります。
代表作は以下のような句があります。
みなさんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
・夏草や 兵どもが 夢の跡
(過去に奥州兵士が栄華を誇った場所が、
今は廃れて夏草だけが勢いよく茂っている。)
・古池や 蛙 飛び込む 水の音
(古い池に蛙が飛び込んでポチャンと水音がするなあ)
正岡子規
正岡子規:1867年10月14日〜1902年9月19日(享年35歳)
本名:常規(つねのり)
出身地:愛媛県松山市
正岡子規は、明治時代に活躍した俳人です。
子規は、肺結核となり吐血する自身の姿を口の中が
赤いホトトギスに例えて名乗ったペンネームです。
俳句雑誌「ホトトギス」を創刊しその後の俳句界に
大きな貢献を果たしました。
残した俳句の数は、20万句もあると言われてます。
代表作も見ていきましょう。
・柿くえば 鐘がなるなる 法隆寺
(法隆寺に足のを伸ばし茶席で柿を食べていると
鐘の音が聞こえる。秋がもうやって来たんだな)
・いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
(何回も何回も雪がどのくらい降り積もったのかを
尋ねずにはいられない)
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小林一茶
小林一茶:1763年6月15日〜1828年1月5日
本名:小林弥太郎
出身地:長野県上水内郡
小林一茶は、江戸時代に活躍した俳人です。
ですが、当時俳人として活躍するものの田舎クサイと
その才能を全く認めてもらえませんでした。
そんな一茶を偉大な俳人として世に広めたのが、
前述した正岡子規です。
一茶が、生涯に詠んだ句は2,200句にもなります。
いずれも、誰でも分かりやすい内容の俳句ばかりです。
代表作は以下のようながあります。
・雪とけて 村いっぱいの 子供かな
(雪が解ける暖かい春となったからたくさんの
子が遊んでいるよ)
・名月を とってくれろと 泣く子かな
(美しい満月を見て我が子が月をとってと
泣いている)
与謝蕪村
与謝蕪村:1716年〜1784年1月17日
本名:谷口(もしくは谷)信章
出身地:大阪府大阪市
与謝蕪村は、江戸時代中期に俳人・画家として活躍しました。
松尾芭蕉に憧れ俳句の道を志します。
日本初の俳画であった蕪村は、目に情景が浮かぶように
句を詠むのが上手で、後に「天明調」と呼ばれる
俳句の技法を確立しました。
代表作は以下があります。
・菜の花や 月は東に 日は西に
(日が沈んで月が東から登ろうとしているけど
まだ菜の花が見えるからそんなに暗くなっていないよ)
・春の海 ひねもすのたり のたりかな
(穏やかな春の日差しの中で海もゆったりと波打っている)
まとめ
日本三大俳人と言いますが、俳句の世界への功績を考えると
「松尾芭蕉・小林一茶・与謝蕪村・正岡子規」
の4名を挙げることもできます。
同じ定型詩を使っていてもそれぞれ技法も違います。
また、俳句から感じられる人なりも全く異なることが分かります。
ですが、いずれも人の心に伝わる俳句であることは
いつの時代になっても変わりませんね。