こんにちは!
今回は、皆さんのお住いの近くにも必ずある、
「お寺」の日本三大をご紹介します。
お寺と仏教の関係は?三大寺には浅草寺も入る?
三大寺とされるそれぞれのお寺について詳しく調べてみましたので、
ぜひ最後までお楽しみください。
では、まいりましょう!
日本三大寺とは?
日本三大寺とはなんでしょうか?
そもそもお寺とは、何のためにあるのでしょう。
お寺は、「仏像が祀られ、仏教の出家者が修行を行う施設」です。
そして日本の寺院のうち、古い歴史があり格の高い、
以下の寺院が日本三大寺とされています。
・大安寺
・元興寺
・弘福寺
それぞれどのような特徴があるのか、
詳しくみていきましょう。
【スポンサードリンク】
大安寺の歴史
大安寺(だいあんじ)は、奈良県奈良市の中心部にある、
高野山真言宗の仏教寺院です。
なんと、聖徳太子が創立したと言われており、
日本で最初の国立(天皇立)寺院ということです。
現在は最盛期の規模の25分の1ほどとなりましたが、
奈良時代~平安時代前半までは東大寺などと並ぶ大寺で、
国内外の高官や僧侶を迎える迎賓館として、
また、仏教を学ぶ大学のような役割もあったそうです。
当時を記す資料によると、887人もの僧侶が寺域内に
居住し、勉学修行に励んでいたそうです。
寺域には、僧侶の居住する僧坊だけでなく、
金堂、講堂、七重の塔、東塔、西塔などがあり、
いかに広大な寺院だったかが分かります。
聖徳太子の建てた「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」が、
官寺(国家の庇護と監督を受ける寺)となり、
「百済大寺」、「高市大寺」、「大官大寺」と、
移転や改称を繰り返し、平城京に移ったころ「大安寺」と
称されるようになりました。
しかし、都が平安京に移った頃には仏教のトレンドが
密教に移り、大安寺では火災も相次ぎ、徐々に衰退していきました。
特に1017年の火災ではことごとく焼失してしまい、
また秀吉の時代の1596年には大地震があり、
小堂を一つ残すのみとなってしまいました。
戦後に復興が進み、
現在は「がん封じ」の祈願寺として知られるようになり、
参拝される方も多いそうです。
【スポンサードリンク】
元興寺の歴史
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院です。
蘇我馬子(そがのうまこ)が588年に建立に着手した、
日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が
平城遷都にともない、新築移転されたのが元興寺です。
「佛法元興之場、聖教最初の地」
という言葉が由来となっています。
日本で最初に仏法が興隆した地という意味です。
718年に平城京へ移転され、
奈良時代の元興寺は、南北約440メートル、
東西約220メートルと広大な寺域を誇り、
仏教の発展において中心的役割を果たしていました。
平安時代の後期になると、
官寺の支えである朝廷の権力の衰え、
新しい寺院の興隆などにより、衰退していきました。
平安末期には元興寺の奈良時代の学僧である智光の
曼荼羅が信仰を集めるようになり、
庶民の信仰が寺院を支えるようになりました。
その後、一時は”住職もいない荒れ寺”となりましたが、
戦時中に一人の住職が入寺し、復興を重ね、今に至ります。
元興寺は、「古都奈良の文化財」の一部として
世界文化遺産に登録されています。
また、元興寺の所有する建造物、仏像の多くは、
国の文化財として指定されています。
弘福寺の歴史
弘福寺(ぐふくじ)は、奈良県高市郡明日香村にある寺院で、
かつての「川原寺」の跡地に建てられています。
川原寺とは、「飛鳥寺(法興寺のちは元興寺)」、「薬師寺」、
「大官大寺(のちは大安寺)」と並び、「飛鳥の四大寺」の
一つとされていますが、歴史書への記述が少なく、「謎の大寺」
と呼ばれている寺院です。
670年頃、天智天皇の時代に建立されたとされており、
その後、平城京遷都の際に他の三大寺(飛鳥寺・薬師寺・大官大寺)は
移転しましたが、川原寺は飛鳥の地にとどまったそうです。
のちの発掘で、南北約330m、東西約150m以上という
とても広い敷地に、東塔一つと二つの金堂、
境内を北東西の三方から囲むように建てられた僧坊と、
珍しい伽藍を持つ大きなお寺だったことがわかっています。
1191年に焼失してしまった川原寺。
江戸時代中期に、中金堂跡に「弘福寺」が建立され、今に至ります。
写経が初めて行われた寺、弘法大使ゆかりの寺として、
数々の謎を残した川原寺を引き継いだ弘福寺。
国の史跡にも指定されている川原寺の跡地も見ることができるので、
どれだけの広さがあったのか、体感しに訪れてみるのもいいですね。
浅草の浅草寺は入ってない
浅草寺は、東京都台東区浅草にある東京都内最古のお寺です。
創建は古く、628年に推古天皇により建てられたとされています。
なぜ浅草寺は日本三大寺に入らないのでしょうか。
日本三大寺は、詳しくは
「大和にあって朝廷の尊崇を受け、奈良時代まで隆盛であった寺」
とあります。
「大和」とは奈良盆地の東南地域のことを言います。
仏教が広まった飛鳥時代に都が置かれた場所です。
このことから、飛鳥時代~奈良時代に朝廷の庇護のもと、
仏教の発展に大きく貢献したお寺を日本三大寺としたようですので、
立地、朝廷との関係の深さからみても浅草寺は入らないようです。
まとめ
いかがでしたか?
個人的にはなかなか馴染みのないお寺でしたが、
歴史はとても古く、いずれも仏教発展のために
大きな役割を果たした寺院だったことがわかりました。
仏教発祥の地。機会があれば、ぜひ足を運んでみてくださいね。