みなさん、こんにちは!
今回の日本三大◯◯は「財閥」の三大をご紹介します。
財閥と聞いて何が思い浮かびますか?
”テレビドラマに出てくる大金持ちの御曹司”など
なんとなく”大富豪”というイメージですよね。
ここでは、日本三大とされる財閥について、
どのくらいの資産があるのか?
子孫にはどんな人がいるのか?
を調べてみました。
最後までお楽しみください。
では、まいりましょう!
日本三大財閥とは?
日本における「三大財閥」とはどこでしょうか。
そもそも財閥とは、
「家族または同族により出資された
親会社(持株会社)や銀行などを中心として、
多角的経営を行う巨大な企業集団」
のことをいいます。
戦後の財閥解体をきっかけに、同族支配、持株支配は
弱まりましたが、株式持ち合い、商取引きを通じて
各企業同士の結束を深め、巨大なグループ企業を形成し、
現在も日本経済に大きな影響を与える存在となっています。
そして、歴史や規模の大きさから、
以下の3つが「日本三大財閥」とされています。
・三菱・三井・住友
次は、それぞれの財閥について詳しく比較してみましょう。
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財閥別資産比較
【三菱財閥】
土佐藩出身の岩崎弥太郎が明治期に創立した三菱商会が
基盤となっています。
海運業、造船業、鉱業、鉄道や貿易をはじめとして
多方面の分野に進出し、その規模を大きくしてきました。
戦後の財閥解体前の三菱財閥の総資産は、
現在の価値にすると推定120兆円と考えられています。
現在の三菱グループに属する企業は、600以上とされ、
その内29社が中核とされています。
有名な企業の一部として、
・三菱商事
・三菱重工業
・三菱UFJ銀行
・三菱自動車工業
・明治安田生命
・キリンホールディングス
・三菱電機
・旭硝子
・三菱地所
・東京海上日動火災保険
・ニコン
・日本郵船
などがあります。
グループ総資産は439兆円といわれており、
三大財閥の中でも最高の、とてつもない巨大なグループといえます。
【三井財閥】
三井財閥は、江戸時代の三井越後屋、
明治時代の三井銀行を源流に始まった財閥です。
商業、金融業、鉱工業と多岐にわたって規模を大きくし、
新企業の設立や弱小企業の吸収合併により、
ついに日本最大の財閥にまで発展しました。
財閥解体時には、系列会社数278社、
その払込資本金総額は55億円に達していたそうです。
現在における有名な企業の一部としては、
・三井物産
・三井不動産
・三井住友銀行
・太平洋セメント
・TBSホールディングス
・東芝
・東レ
・日本製紙
・日本製粉
・富士フィルムHD
・三井化学
・三井住友海上火災保険
・三越伊勢丹HD
などがあります。
グループ総資産は300兆円といわれており、
こちらも現在も巨大なグループとなっています。
【住友財閥】
世界的な財閥の中でも特に歴史が古い住友財閥。
1590年に蘇我理右衛門が銅吹所を設けたことが
始まりとされています。
その後、両替商や重化学工業などを中心とした経営で、
財閥を大きくしてきました。
終戦時には本社が投資していた会社は120社もあり、
資本金総額は100億円にのぼる規模だったようです。
現在における有名な企業の一部として、
・三井住友銀行
・住友化学
・NEC
・住友大阪セメント
・住友金属鉱山
・住友ゴム工業
・住友商事
・住友生命保険
・住友不動産
・住友林業
・三井住友建設
などがあります。
グループ総資産は265兆円となっており、
こちらも現在も巨大なグループを保っています。
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それぞれの子孫はどうなってる?
それほどの規模の財閥ですから、
それぞれの子孫がどうなっているのかは気になりますね。
【三菱財閥】
創始者は岩崎弥太郎とその弟の岩崎弥之助になります。
調べてみると、
岩崎弥太郎の娘婿として、
のちの総理大臣である加藤高明、幣原喜重郎がいます。
また、親族の婚姻を通じて皇室(三笠宮家など)とも
繋がりがあります。
経済評論家の木内信胤は弥太郎の孫にあたり、
中島みゆき、由紀さおりなども遠縁となるようです。
各々、グループ会社の重役を勤めたり、
新規事業を立ち上げたり、
各分野で著名な人物と婚姻関係を結ぶなど、
一族の基盤をさらに強固なものにしています。
【三井財閥】
創始者は伊勢国・松坂出身の三井高利です。
NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルとなった
広岡浅子も、実家が三井家(三井小石川家)でした。
また、トヨタ自動車の豊田家や、朝日新聞の村山家とも
婚姻関係により繋がりがあります。
三井家本家の現12代目は、建築家であり、
グループ経営に関わることは無いようです。
【住友財閥】
住友財閥には、家祖として住友政友、
業祖として蘇我理右衛門がいます。
住友家は「君臨すれども統治せず」の立場で、
財閥との関係を保っていました。
現在も変わらず、17代目の家長である住友芳夫氏は、
グループに絶大な影響を与えつつも
経営には口を挟まないといわれています。
なお、美智子皇后のご実家である正田家とも
婚姻関係にあります。
また住友家は公家である徳大寺家から当主を
養子にもらうなどし(住友友純)、
徳大寺家とつながりのある三井財閥とも深い
結びつきができました。
まとめ
なんだか、はるかに想像を超えた規模の話でしたね。
財閥系のグループ会社には、身近でよく聞く企業ばかりが
入っており、いかに私たちの社会に浸透しているかがよく分かります。
また、財閥を継ぐ一族は、婚姻などを通じて
さらに繁栄していくのだなとよく分かりました。